中国(中華人民共和国)の上海は、「上海バンスキング」や「太陽の帝国」(S.スピルバーグ監督)などでなじみがあり、一度は行ってみたいと思っていました。そこで、今回、団体旅行に参加し2泊3日で上海を旅行しました。
上海については地理や観光名所に関しほとんど知識がない状態ですので、団体旅行でよかったと思います。気楽に安く旅行できたので紹介します。
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旅行1日目(10月11日)
関西空港から上海浦東(シャンハイプードン)空港へ
中国東方航空便にて関西空港から上海浦東(シャンハイプードン)空港へ行きました。
関西空港 9:30発 → 上海浦東空港 10:45着
中国が見えてきました。
予め両替しておいた人民元です。
上海浦東空港に到着しました。上海浦東空港に到着後、バスにて無錫(ウーシー)へ向かいました。団体旅行ですので中国に着いてからの移動は全てバスです。
無錫(むしゃく、ウーシー)市内観光
無錫市について
無錫市は上海市の西128kmに位置します。面積は約4788k㎡で、そのうち16.5%を湖や運河が占めている水の都です。工業の街としても有名で、多くの大手日系企業が開発区を中心に工場を構えています。
無錫は、三国志に登場する呉の発祥の地でもあり、当時は製鉄業が盛んだったそうです。
「無錫」という地名は、「錫(スズ)」が無くなるまで掘り尽くしてしまった地という意味だと言われています。隋の時代に作られた京杭大運河(けいこうだいうんが)が市内をゆったりと流れています(SHANHAI NAVI「無錫」から抜粋)。
無錫市内を散策します。
京杭大運河(けいこうだいうんが)
京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500kmに及ぶ大運河です。途中、黄河と長江を横断しています。
戦国時代から部分的に開削されていたものを隋の文帝と煬帝が整備し、完成は610年です。
この運河によって経済の中心地江南と政治の中心地華北さらに軍事上の要地涿郡(たくぐん)にある大都(後の北京)が結合して、中国統一の基盤が整備されたました(Wikipedia「京杭大運河」から抜粋)。
広い運河です。これが総延長2500kmもあるのです。気が遠くなるような長さですよね。
南長街(無錫市南長区)
無錫市内の中心部にある南長街(無錫市南長区)です。昔ながらの街(老街)があります。南長街(無錫市南長区)は、別名、清名橋古運河景区とも呼ばれています。
石畳の広い通りです。ゆったりと散策できます。古い店が多いですが、スターバックスやKFCなどもあります。
南禅寺
南禅寺は南朝猟梁の太清年間(547年 – 549年)の創建です。南禅寺は、1949年以降廃止されましたが、1980年代に、政府が資金を投下して再建しました。
南禅寺は、1983年、無錫市人民政府により無錫市文物保護単位に認定されました(Wikipedia「南禅寺 (無錫市)」から抜粋)。
南禅寺にある高さ43mの妙光塔です。
恵山古鎮
恵山古鎮は恵山の麓にある古い街並みで、3.5k㎡の広さがあります。古い建物は土産物やレストラン、お茶屋などに改装されています。
古鎮(クーツェン)の中の水路沿いにはテラス席が設けられていて、景色を楽しみながら中国茶を楽しめます。
夕食は無錫料理
無錫料理は江蘇料理に属していて、甘味を重んじます。有名な料理には、蟹小籠包、ワンタンなどがあります。無錫は水産物が豊富です。
「太湖三白(銀魚、白蝦、白魚)」を食べないと無錫に来た甲斐がないと言われています。銀魚(シラウオ)、白蝦、白魚は上等な水産物です。
白魚は骨が少なくて、味もあっさりしています。秋の蟹は大きくて、肉がとても美味しいです(CHAINA HILIGHTS「無錫の名物料理」から抜粋) 。
何人かが丸テーブルを囲んで食べます。太湖三白はないようですが、スペアリブがあります。
無錫華美達梨庄大酒店(Ramada Wuxi)
今夜は無錫華美達梨庄大酒店(Ramada Wuxi)に泊まります。
ゆったりとしと部屋です。
運河ナイトクルーズ
ホテルにチェックイン後に「運河ナイトクルーズ」に出かけました。
派手な照明です。
運河ナイトクルーズのためでしょうね。たくさんの照明で運河がライトアップされています。
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旅行2日目(10月12日)
無錫を出発前にホテルの前で記念撮影です。
ホテルの前からの街の眺めです。沢山の高層住宅が建っています。
ホテルでの朝食後、蘇州へ向かいました。
蘇州市(そしゅうし)市内観光
蘇州市について
蘇州市は、中国江蘇省の東南部に位置します。古くから絹織物で発展し、上海市に隣接する地の利から省の経済的中心です。
古来、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が通り、運河による水運が生活に溶け込んでいます。このことから、蘇州市は、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて「東洋のベニス」と呼ばれますが、ヴェニスよりも古い歴史を持っています。
環状の堀で囲まれた旧市街は新しいビルなどは少なく、昔からの住宅が立ち並び、世界遺産の園林などが点在しています。これに対し新市街は近代的なビルや高層住宅などが立ち並んでいます(Wikipedia「蘇州市」から抜粋)。
世界遺産 虎丘
虎丘は呉王闔閭(こうりょ)の墓のあるところで、その名の通り小高い丘になっています。虎丘への入口にある碑坊といわれる門には、「呉中第一山」(呉の中で第一の山と)と書いてあります。門の中からは、山の上の斜めに立つ雲岩寺塔(通称「虎丘塔」)も見えています。
「呉の中で第一の山」とされている虎丘は、蘇州のどこからでも頂上に立つ斜塔とともに見ることができます(蘇州古典園林の魅力「蘇州の虎丘(呉王ゆかりの地)から抜粋」)。
山塘街(さんとうがい、シャンタンジエー)を散策
山塘街は、全長約4kmと長く運河に沿って伸びています。山塘街は、一部が観光用に再開発され、昔の蘇州を再現した街並みとなっています。
呉門橋
呉門橋です。呉門橋は、北宋の時代、1084年に架けられた石橋で、全長は約66m、高さは11mあります。今の橋は清代に修復されたものです(中国でのいろいろ「蘇州 盤門三景」から引用)。
盤門
奥に見える建物が盤門です。盤門が最初に造られたのは2500年以上前、春秋時代です。現存している城門は1351年に再建され、明代、清代にも修復されて今に至っています(中国でのいろいろ「蘇州 盤門三景」から引用)。
昼食は蘇州料理
蘇州は運河の町なので淡水の魚介類が豊富で淡水魚や川エビなどを使った料理が名物と言われています。また、蘇州の料理は江蘇料理と呼ばれ、四川料理、広東料理、山東料理と共に、中国の「四大菜系」の1つと言われています。
素材の旨味を生かしたシンプルな味付けが特徴で、極端に辛い料理は少なく、日本人にも食べやすい味のようです(How Travel「蘇州の名物料理5選!お勧めグルメ旅」から抜粋)。
食べやすい料理でしたが、私には他の料理との違いがなかなか分かり難いです。
昼食後は上海へ向かいました。
上海市(しゃんはいし)観光
上海市について
上海市は、中国の直轄市(ちょっかつし)であり、中国の商業、金融、工業、交通などの中心地です。直轄市とは、最高位の都市であり、省と同格の一級行政区画です。直轄市には、北京市、上海市、重慶市、天津市の4市があります。
上海市の人口は約2500万人、面積は東京都の約3倍で、栃木県、群馬県、大分県とほぼ同じです(以上、世界雑学ノート「上海の面積と大きさとは?」、およびSHANGHAI NAVI「上海の基礎知識」から抜粋)。
中国の悠久の歴史からみると上海の発展はごくごく最近の出来事です。上海は、もともと長江デルタの小さな漁村で、大きく発展するのは1842年に清がアヘン戦争に敗れて同地を開港し、英国やフランスの租界が作られるようになってからです。
その後、租界には多くの国々から居留民が流入し、現在の国際都市・上海の基礎が形作られました(住友商事グローバルリサーチ、上海/中国~近代と現代が調和する国際都市「上海」~から抜粋)。
なお、租界とは中国において治外法権が認められた外国人居住地のことです。
外灘(がいたん)散策
外灘(がいたん)は「外国人の河岸」を意味します。
外灘は、上海中心部の横浦区にある上海随一の観光エリアです。この一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区であり、当時建設された西洋式高層建築が建ち並んでいます(Wikipedia「外灘」から抜粋)。
外灘から見た黄浦江(こうほこう)の対岸の陸家嘴(りっかし、ルージャーズイ)の景色です。
黄浦江(こうほこう)に沿って高層ビルが立ち並んでいます。陸家嘴側は銀色、金色に輝くビルが多いように思います。黄浦江は下流で長江と合流し、東シナ海へ流れ込んでいます。
同じTシャツと同じ帽子の若い団体さんです。どこかの国の学校の修学旅行でしょうか?
黄浦江の対岸側とは反対側の景色です。こちら側は対岸側(陸家嘴)とは打って変わって歴史観のある地味な建物群です。
中国館エリアを散策
中華芸術宮(ちゅうかげいじゅつきゅう)です。現代中国美術の美術館です。2010年に上海万博の中国館だった建物です。
夕食は巴国布衣(パークオブーイー)にて四川料理
四川料理(しせんりょうり)は、狭義には中国四川省の郷土料理です。広義には、もともと四川省の一部であった重慶市はもとより、雲南省、貴州省などの周辺地域をも含めた、共通する特徴をもつ郷土料理の系統を指します。
中国四大料理(ないし八大料理)の一つであり、辛い香辛料を効かせた中華料理として知られています(Wikipedia「四川料理」から抜粋)。
変面ショーです。4分間のショーの間に10回ほど顔のお面が変わります。一瞬にして変わるので、注視していてもどうやっているのか分かりません。不思議です。
上海嘉定喜来登酒店(SHERATON SHANGAI JIADING HOTEL)
ゆったりとしたくつろげる部屋です。
外灘夜景観賞
昼間に外灘から見た陸家嘴の夜景です。とてもきれいにライトアップされています。
こちらは外灘の黄浦江側とは反対側の景色です。
観光トンネルを通って外灘から陸家嘴へ
上海を代表する観光エリアである外灘と陸家嘴は黄浦江を挟んで向かい合っています。これら2つのエリアは、黄浦江の下を横切る観光トンネルでつながっています。
今夜は観光トンネルを通って外灘から陸家嘴(りっかし、ルージャーズイ)へ行きました。
高層ビルが林立しています。
上海タワー(上海中心大厦)118階展望台
上海タワー(上海中心大厦)118階の展望台へ上がります。上海タワーは、高さ632m、地上127階建てです。ちなみに東京スカイツリーは、高さ634m、地上160階建てです。
上海タワー118階の展望台からの眺めです。118階は非常に高いです。景色もバツグンです。チョット硝子が曇っていますが。
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旅行3日目(10月13日)
朝食はホテルで
朝食後は上海郊外の南翔観光へ向かいました。
南翔(ナンシャン)観光
南翔老街(ナンシャンラオジ)
南翔老街(ナンシャンラオジ)は地下鉄でも行ける水郷の街です。古き良き上海の田舎町といった風情を残していて、宋代、明代の史跡も残っています。
南翔老街の歴史は宋代までさかのぼることができるといいます。街の中心に建つ双塔をはじめ、1000年近い歴史のある建造物も残されています(SHANGHAI NAVI「南翔老街」から抜粋)。
上海観光
上海へ戻って上海観光をしました。
豫円(よえん)商城を散策
豫園商城は、16世紀半ばに建造された明代の古典庭園「豫園(よえん)」の周辺に広がる商業地域です。20世紀初頭、上海に列強が租界を造っていた時代に城壁に囲まれた豫園を含む一帯は、上海一の繁華街として栄えていました。
今は、伝統工芸品やお土産、飲食店などのショップがひしめく古き良き上海が残る観光スポットとして知られています(Trip it Easy「上海観光おすすめスポット!豫園商城でショッピング&グルメを楽しもう」から抜粋)。
昼食は豫園(よえん)の「和豊楼」で飲茶料理
小籠包が人気のレストランです。
日本租界(旧日本人居住区)を散策
戦前の上海には10万人とも言われる数の日本人が暮らしていました。詩人の金子光晴、上海に書店を開いた内山完造など、文化人も多く住んでいたそうです。日本租界(旧日本人居住区)は、そんな日本人の居住区でした(SHANGHAI NAVI「日本租界(旧日本人居住区)」から抜粋)。
「鴻徳書房」その前に立っている内山完造の像です。
上海浦東(シャンハイプードン)空港から関西空港へ
上海浦東空港の特徴的な天井です。
これで上海・無錫・蘇州の旅はお仕舞です。これから中国東方航空便にて上海浦東空港から関西空港へ帰ります。
上海浦東空港 18:00発 → 関西空港 21:30着
エクスペディア 超得サマーセール!対象ホテルが20%以上OFF 予約期間:6/21-8/2 宿泊期間:6/21-10/31旅行のまとめと感想
・今回の旅行では、上海・無錫・蘇州の主要な観光地を観光しました。旅行を通してバスでの移動でしたが、各観光地を次々と回ってくれるので、気楽で便利と感じました。
・しかし、もし個人旅行で行く機会があるなら、一つの市に滞在して観光するのがいいのではと感じます。
・上海・無錫・蘇州は古い物を残しながらも急速に発展しており、上海は特に顕著でした。その発展ぶりには直に見て驚きました。
・上海の交通渋滞は激しくて市外からの車の流入が制限されています。上海市は車の数の増加を抑制するために、車両ナンバーの新規発行数を定め、オークション形式で販売するまでになっています。落札価格は150万円などと聞きます。それでも車を持ちたい人がたくさんいるのですから、経済的にも大変豊になったのでしょう。
・中国は広く今回はそのごく一部を観光したに過ぎません。機会があればまた行きたいと思います。